これは解説なんて言えるものではありません。あくまで個人の仮説です。言ってみれば、この作品の世界を体験した自分にとっての「世界の果て」とも言えるかもしれません。
アオヤマ君と世界と世界の果て
この作品の重要なキーワードは「世界の果て」です。アオヤマ君は自分の住む街を探検しながら、その先に世界の果てがありそうだと感じています。お父さんは「世界の果ては折りたたまれて、世界の内側にもぐりこんでいる」と言います。終盤「海」に入った少年は、海に沈んだ自分の街や、お姉さんの故郷だという海辺の街を見ることになります。そこが世界の果てかもしれない、と彼は思うのです。
ではこの「世界の果て」とは何なのでしょうか。結論から言うと、これはアオヤマ君の心の内面世界で、彼の夢や空想や感情なんかが現実世界と重なったもう一つの世界だ、というのが自分の仮説です。そして「海」は、この2つの世界を繋ぐトンネルのようなものだと思います。この仮説をベースに、作中で起こる不思議な出来事の数々について考えてみました。
変化する「海」の大きさ
「海」の大きさが変化することは何を意味するのでしょうか。世界の果てと現実世界をつなぐ時空の裂け目が「海」です。そう考えると、裂け目が大きい時は現実世界に対するアオヤマ君の内面世界の影響が大きくなるでしょう。観察してノートにまとめ、科学的に理解している世界。そこに理解を超えた不思議な出来事が起こります。
仮に人の内面にある思いが強すぎて、それを外に発散していくとどうなるでしょうか。時には他人の思いと衝突して、現実との摩擦が起こってしまうかもしれません。終盤「海」は安定サイクルから抜け出して肥大化します。街にあるものが消えたり、人が飲み込まれたり、周囲に悪影響を与えていきます。そしてアオヤマ君は、大好きなお姉さんを犠牲にしてでもその状況を収めなくてはならなくなるのです。
お姉さんとペンギン
お姉さんはアオヤマ君の恋愛対象であるだけではなく、好きという気持ちそのものを表す存在です。お姉さんは「海」といっしょに消えてしまいます。つまり彼の内面にある存在なのです。その「お姉さん=恋愛感情」がペンギンを生み出し、ペンギンは海を小さくして世界のバランスを保つ役割を持っています。一方でお姉さんはペンギンを食べるジャバウォックも生み出します。そうして海が大きくなったり小さくなったりするサイクルを作っています。
好きだという思いが過剰に強すぎると、周囲の社会、時には好きな相手そのものとの摩擦が起きます。自分でそれに気づいて思いを抑えますが、でも抑えても消えはしません。そのうちまた徐々に思いは強くなります。お姉さんは昼にペンギンを作って、夜にジャバウォックを作ります。なぜか。それは昼が現実世界と触れる時間で、夜は夢の中で自分の内面に触れる時間だからです。
お姉さんもペンギンも食べ物ではなく海から受けとる「ペンギン・エネルギー」で生きています。言うまでもないですが、そのエネルギーとはアオヤマ君の内面から出る思いの強さです。海が小さくなったり、海から遠くに行って内面世界から離れるとお姉さんは元気がなくなってしまいます。
全ての謎が解ける時
お姉さんや海の謎について考え続けたアオヤマ君は、お父さんのアドバイス通りに全てのメモを1枚の紙に書き眺めます。そしてあるときエウレカ(分かった!)の瞬間を迎えます。でも謎を解いた結果おこったことは、彼にとって決して嬉しいものではありませんでした。街やハマモトさんのお父さんを救った変わりに、大好きなお姉さんを失ってしまったのです。「海」は消え、街に平和が戻りました。そこはもう現実世界と内面世界が重なることのない世界です。現実と内面の境界を認識して、社会と折り合いをつけ生きていく。人はそれを「大人になる」と言うのかもしれません。お父さんはアオヤマ君が問題を解決した時、彼が傷つくことになるかもしれないと心配していました。
でも、海の消失は世界の果ての消失を意味しません。海は単なる空間の裂け目に過ぎないのです。それが消えたとしても、決して内面世界が消えてしまうことはないのです。世界の果てに繋がる「ペンギン・ハイウェイ」を彼はその先も探し続けるでしょう。そしていつの日か、きっとまたお姉さんに会うことができる、アオヤマ君はそう信じています。映画を観た自分自身も。
参考文献
劇場アニメはかなり忠実に原作を再現しています。よくこれだけ小説のイメージを映像化したな、と思います。とは言え、原作を読めばアニメもより楽しめると思います。けっこう抽象的な内容なので、もしかしたら小説の方がしっくりくるかもしれません。
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