歌川広重が安政3年(1856年)から制作した傑作「名所江戸百景」。現代の東京を散歩しながら、同じアングルを探して写真におさめみました。
83景 品川すさき
江戸時代には目黒川の河口付近に砂州があり、そこが洲崎と呼ばれていました。突端には弁財天がありますが、今も同じ場所に神社があります。右の写真の中央右あたりに見える建物です。神社の左奥には、旧目黒川の名残の入り江のような形が残っています。
当時は元富士に登りがなら本物の富士山を眺めることができたようですが、今は元富士は整地浮世絵に見える橋は、写真を撮った位置からだいぶ後ろ側にあります。また浮世絵の左下の建物は前述の土蔵相模です。地図と見比べると、実際の位置関係をかなり圧縮して描いているのが分かります。
上は当時の海岸線のイメージです。その後、洲崎の横には御殿山台場が作られました。埋めてられて平地になっていますが、台場の形が区画にそのまま残っていて面白いです。区画の縁に段差があったり、その名も台場小学校の門の前には出土した石垣で作られたモニュメントが置いてあったりして面白いです。
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