映画『アド・アストラ』のネタバレ感想です。最後に作品をより楽しむための参考図書も紹介します。
宣伝が詐欺
公開前の宣伝からは、消えた父親の謎を探るサスペンスを壮大なスペースオペラで描くエンターテイメント作品のような印象を受けますが、完全に詐欺です。中身はモノローグを多用してひたすら主人公ロイの内面の変化を描く内省的な展開です。SF要素も薄くて、正直退屈だという人も多いのではないでしょうか。でも、一旦そういう映画なんだと割り切れば、個人的には結構楽しめる作品でした。
本作のSF描写はすごく抑制が効いています。悪く言えば地味です。目新しい要素はなく、むしろ宇宙服のデザインなんかは今と変わらない新鮮味のないものです。でもそれはこの映画の内容からすると必然です。主人公の内面と宇宙の表現のシンクロがすごくて、地球から離れて月、火星、海王星と進むにつれてその孤独感がどんどん強まっていく演出はみごとです。カメラに映るフレアをあえて強調したりと、アナログでCG感のない映像がリアリティを高めています。
感情をコントロールすることの弊害
主人公のロイは自分の負の感情をコントロールするために感情そのものを殺して生きています。仕事に自分の全てを費やしたことで夫婦関係が破綻し離婚に至りますが、宇宙飛行士の適正診断として心理分析を受けるシーンで、ロイは重要なこと(=仕事)だけに意識を集中すると語り、審査をクリアします。心拍数が決して80を超えないのが彼の強みで、感情を殺すことが宇宙飛行士としての優秀さにつながっています。
これなんですが、現代社会で結構起きがちなことじゃないかと感じました。仕事の内容も人間関係もどんどん複雑になってきていて、誰しもある程度自分の感情をコントロールする必要に迫られています。本屋のビジネス書コーナーには、心理学に基づいたテクニック本があふれています。その行き着く先が、この感情の喪失ではないかと思うわけです。
「近く」でなく「遠く」を見ることの弊害
ロイは身近な妻との問題を放置して、はるか遠くにいる父親を探す旅に出ます。そしてその父親も、妻と子供を置いて知的生命体探しの旅に一生を捧げます。この二人はどちらも「近く」より「遠く」を見つめています。その最果てにいるのが父親であり、ロイが海王星まで彼を探しに行くことで、その最果てに何があるのかを見るという構図になっています。
まず父親が見たものは何か。目的のために仲間を殺して、サージによって地球を危機に陥れてまで探した知的生命体は存在せず、ただただ美しい惑星の写真と、その中には「無」だけがあります。一方のロイですが、父親の愛を探すため、結果的に宇宙船の乗組員を全滅させてまでたどり着いた宇宙の彼方で何を見たのか。それは結局は自分の目的にしか興味のない父親の姿でした。
自分のやりたいことのためには、周囲からの期待を裏切ったり、求められる役割を捨てることも必要だ、という昨今の風潮は素晴らしいことだと思います。ですがその行き着く先が、最終的に孤独と無なのではないか?という自問自答も忘れてはいけない、そんな警告を発しているようにも思えました。
近くにある愛を取り戻す
ロイは父親へのメッセージ送信の際に、思い余ってアドリブでしゃべります。父親への思いからだんだんと感情を取り戻すロイですが、最終的に父親の宇宙船までたどり着いて彼と対峙したロイはその思いを父親にぶつけます。しかし結果は悲しいものでした。父親は自分を振り切って自ら死を選び、二人の関係は救いのないものになります。
でもそれは無駄なことではありません。この瞬間ロイは、初めて自分が妻と同じ立ち位置にいることに気づくのです。ロイと妻の関係にはまだ可能性が残っているのです。ロイは地球に戻る決意をし、岩石群の中に飛びこんで行きます。盛り上げ要素感の強いアクションシーンが多い本作ですが、このラストに関してはロイの感情ともリンクした感動できるシーンになっていますね。
参考図書
『2001年宇宙の旅』アーサー・C. クラーク
本作の展開を見ると、少なからずこの名作の影響を受けていそうです。
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