2018年に亡くなられた、ジブリの高畑勲監督のエッセイ集です。監督は『火垂るの墓』や『かぐや姫の物語』などのいくつもの名作を残されてきました。その過程で考えたことや出来事が様々なテーマが語られています。日本文化、日本語、アニメの作り方、一緒に作品を作った仲間たち、などなど、幅広い内容のエッセイが集められています。その深い教養に裏付けられた論理的な文章に、思わず引き込まれます。
観客巻き込み型映画とは
いろいろな話題が出てくる中で、監督の作品作りへの考え方が最も色濃く出ているのが「脳裏のイメージと映像のちがいについて」という章だと感じました。そこには、アニメを含む最近の映画に見られる「観客巻き込み型映画」への批判があります。
舞台芸術や昔の映画などは、主人公が横方向に何かに対峙したり行動したりするのを、観客が外から客観的に見る視点で作られていました。その場合、観客はセリフや演技から主人公たちの心情を想像することになります。自分の想像力を働かせて、能動的にキャラを「思いやって」感情移入するのです。
一方映像や演出の技術が最高レベルまで高まっている最近の映像作品では状況が違います。観客を主人公に寄り添わせて視点を共有させる縦の構図が多用されます。そして激しいカット割りとカメラワーク、陰影をつけたリアルな映像、徹底的に高密度に書き込んだ背景、感情を揺さぶる音楽、などなど、あらゆるテクニックを使って観客を作品に感情移入させます。そこに観客の想像力の入る余地はなく、ただ受け身でいるだけで良いのです。
日本のアニメが巻き込み型になった流れ
特に日本のアニメは、その観客巻き込み型映画の一ジャンルになっていると監督は言います。ではなぜそうなったのでしょうか。その流れをまとめてみました。
- リアリティの追求
- アニメーションにはリアリティの高さが必要です。ファンタジー世界を本当のことだと思わせるために、不思議な要素以外の部分には、ベースとして徹底したリアリティが必要です。
- 日常ドラマでも、ふだん観客が当たり前だと思っている場面を、高いリアリティで綿密に描くことで、新鮮な驚きや感動を与えることができます。
- 技術の進歩
- リアリティを追求するために、作品作りの技術が進歩していきます。描き込みの多さやカメラワークなどによって、子供だましどころか、大人までだましてしまう映像が作られます。
- リミテッドアニメへの対応
- 予算とスケージュルが厳しいTVアニメ制作の中で、作画枚数が少なくても観客を感情移入させるテクニックが作られていきます。主人公の内面を深く描写せず、平凡なキャラの視点に観客を寄り添わせます。また、止め絵でもカッコよくみえるカット割りやカメラワークが発展します。
巻き込み型の問題
最近の子供たちは、外の世界で人間関係などの問題にぶつかる体験が減りつつあります。そんな中、巻き込み型のリアルな映像作品こそが人生の「原体験」になりがちだと監督は言います。
しかしそういった巻き込み型のアニメ作品などでは、平凡な主人公が意味もなく勇気を出したり努力したりして壁をうちやぶります。それを見て爽快な気分だけ味わって、現実の問題に対処する方法を身につけられません。
そこでいざ現実世界で壁にぶつかった時にアニメの主人公のように対処できない自分に絶望して「ひきこもり」になり、またアニメなどの世界に逃避していく。巻き込み型映画にはそういった問題がると監督は批判しています。
だから高畑勲監督の作品は、リアリティを追求する一方で、最後には客観的な視点を持てるような作品作りがされています。俯瞰した視点で、キャラを横から見る構図が確かに多いような気がします。
ピノキオとディズニーランドとトイ・ストーリー
そんな批判に絡めたディズニー・ピクサー関連の作品評が面白かったです。
ピノキオで客観視点のアニメーションを極めたウォルト・ディズニーですが、その後ディズニーランドを作った理由の一つを監督が推測しています。ウォルトは巻き込み型を作る技術を持たなかったために、アニメーションに対して感情移入の限界を感じていた。そこで、観客を作品世界に物理的に入り込ませるテーマパーク作りに興味が移ったのではないか、というのです。すごく面白い視点だと思いました。
また、ピクサーのトイ・ストーリーを絶賛しています。観客をキャラの心に寄り添わせて感情移入する巻き込み型の演出をしながらも、客観的な視点を保たれていると。その理由は、当時3D CG技術の限界が理由で主要な登場キャラを人間じゃなく「おもちゃ」にしたことです。おもちゃに対しては、どんなに巻き込まれようと、最後には必ず人間である観客とおもちゃであるウッディーたちとの間に越えられない一線がひかれるのです。
世界を変えるポイント
こういう監督の思いを知ってから作品を観れば、作品を楽しむための新しい視点をいくつも加えられるはずです。私も最近になって「母をたずねて三千里」を観て、この「思いやり」構造の演出の威力を実感しました。
そして、最近の巻き込み型映画に慣らされて、頭を使わなくなった私たちが、そうじゃない作品を見ると「なんか感情移入できなかった」と言って安易に低い評価をしがちです。もっと能動的に考えながら映画を見るのも大事だな、と思わされました。ただ、そういう見方ってすごく疲れるので、たまには無心で巻き込み型映画を観たいっていうのが正直なところですが(笑)。
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