なぜ人類は歴史上で、様々な「神」を生み出し信仰してきたのか。しかも世界各地の民族がそれぞれに異なる神を、なぜ同じような時期に信じ始めたのか。本書では、その疑問が人類の脳の進化という視点で説明できる、という説を紹介しています。600万年前の類人猿の誕生からの脳の進化の過程が解説され、それがどのように神の誕生に結びついたのか、が語られます。
人類の脳の進化の歴史
本書で解説される、600年前に二足歩行する類人猿が誕生してから現生人類に至るまでの、脳の認識能力の進化の歴史をまとめてみました。
二足歩行を始めたばかりの人類、600万年前のアウストラロピテクスや200万年前のホモ・ハビリスの時点では、まだまだ人類の脳は容量も小さく認識能力も限界がありました。道具を使う能力は発達していましたが、まだ外部からの刺激に対して本能的に反応するだけで「意識」は持ってなかったようです。
180万年前に誕生したホモ・エレクトスになると、自分の存在を客観的に認識する「自己認識」の能力を手に入れます。鏡に映る自分を見て、それを他人ではなく自分だと認識できる能力です。この能力は、例えばチンパンジーやイルカなどの一部の動物にも備わっているそうです。
20万年前のネアンデルタール人になるとさらに「心の理論」を身につけます。他人が自分と同じように思考していることを認識して、その思考を推測して共感する能力です。人間の子供だと4歳くらいで身につけるそうですが、それを判定する有名なテストにサリーとアン課題というものがあります。
10万年に私たちの直接の祖先であるホモ・サピエンスが生まれました。その古代ホモ・サピエンスが「内省的自己意識」の能力を持ちます。心の理論の階層を深くしたようなものです。他人が他人をどう思っているか、他人が自分をどう思っているか、という重層的な認識ができるようになります。その結果、「自分の思考を自分が認識する」という内省的自己意識が芽生えます。これによって集団で狩をする時のチームワークが格段にレベルアップしたようです。
そしてついに4万年前ころ、現代ホモ・サピエンスが「時間的自己意識」を持つに至ります。過去に起きたことと現在の状況を因果関係で結びつける「自伝的記憶」から、さらに過去を「将来」の予測へと結びつける能力へと発展します。これによって狩りの計画性が高まり、ついには農耕の開始へとつながっていきます。
脳が神を生み出す過程
この時間的自己意識が、思わぬ副産物を生み出してしまいます。周りで死んでいく人間の姿を見ても、今までは悲しくても自分と結びつけることはありませんでした。しかし、時間軸の意識を持ってしまったホモ・サピエンスは、「自分も将来死ぬ」という重大な事実を認識してしまうのです。ここから人間の死に対する恐怖や不安との戦いが始まってしまったんですね。
ここから神の誕生に対する著者の仮説が始まります。寝ている時の夢には、すでに死んでしまった親や親戚などが出てくることがあります。死を認識した人類はこう考えます。死んだ人の肉体からは魂が抜け、その魂はどこかで生き続ける。そして、夢に出てくる死者はその魂が自分に会いにきたのだ、と。そして死んだ祖先の霊が、豊作などの恵みをもたらすと考え、祖先崇拝が始まるというのです。
農耕が始まり定住生活に入ると、祖先が同じ場所に埋葬されて人数が増えてきます。さらに多くの家族が集まって暮らすので、それぞれの祖先が競合します。その中で、どの祖先が偉大かという序列化が始まります。その序列化の行き着く先が、多くの人に信仰されるより高位の「神」の誕生だというのが著者の仮説です。
神は人類の進歩の原因か、それとも進歩の副産物か
この本のすごいところは、この仮説に対抗する、神々の起源に関するその他の説をいくつも紹介しているところです。それらと自分の説も含めて、強い否定も全肯定もせず、フラットに語られているのが、すごいと思う反面、ちょっと拍子抜けする感じも受けます。
その中で、神という存在が人類が進歩した「原因」だったのか、それとも脳の進化が生み出した「副産物」だったのかという議論が面白いです。本書の説は「副産物」派ですね。一方で神が進歩の原因だったという説で頭に思い浮かんだのが、ベストセラー『サピエンス全史』です。この本では、神への信仰という虚構が人間たちの団結を可能にし、それが原因で人類が他の生き物を圧倒して繁栄したのだ、という説が書かれています。どちらが正解かは今はまだ分かりませんが、今後の研究で少しずつ判明していくのではないでしょうか。
世界の見方を変えるポイント
この本は、神や宗教はこうやって生まれたのである、という断定はしていません。脳の進化から一つの仮説を立てるに止まっています。しかし、これを読んだ後には、あらゆる宗教の話題に接する時の見方ががらっと変わってしまいます。これは脳が進化の過程でたまたま生み出したものなのか?それとも神のおかげで人間は繁栄したのか?と。
また、本書の人間の脳の進化の説明を読めば、人間という生物が他人と自分の思考やものごとの時間軸を認識できることの特殊性がわかります。例えばTV番組などで、動物を擬人化してナレーションをつけたりすることがよくありますが、それになんとなく違和感を感じるようになってしまうかもしれません。
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