ディズニーにあまり興味がないけど、彼女や子供の付き合いでディズニーランドに行くという人も多いと思います。そんな人でも知ってると意外と楽しめる、歴史やコンセプトについての知識を紹介していきたいと思います。今回はディズニーランドの影の主役とも言える、ウエスタンリバー鉄道です。
鉄道こそがパークの主役
ウォルトが5歳から9歳まで住んだアメリカ中西部のマーセリーンは、アメリカで鉄道が交通の主役だった時代の、鉄道駅の周りにできた街でした。豊かな田園風景と相互扶助的なコミュニティの中で過ごした時間は、彼の少年時代の中で最も幸せな記憶となりました。ウォルトの叔父がマーセリーンを通るサンタフェ鉄道の技師を務めていて、彼の乗った汽車を見るのが大好きでした。一方で、その後マーセリーンからカンザスシティに引っ越してからの彼の暮らしは決して楽なものではありませんでした。頑固で商売下手な父親のもとで雪の日も嵐の日も新聞配達をする辛い日々を送ります。それが彼にとっての少年時代の記憶として、マーセリーンとサンタフェ鉄道をよりいっそう強烈に印象付けることになりました。
それから数十年後、第二次世界大戦後の時代。戦時のアニメ映画の不振と、スタッフのストライキなどの労働争議によるスタジオ内の亀裂によって、ウォルトは衰弱していました。アニメ作品への情熱は減り、制作現場から逃避して、工房でのミニチュア機関車作りに没頭していきます。そしてなんと、自分の新居の庭に800mものレールを敷き詰め、そこに蒸気機関車を走らせましたのです!内装にもこだわり抜き、ミニチュアの新聞まで作って入れるほどでした。トンネルまで作りましたが、出口の見えない暗闇を走るという演出のために、費用をかけてわざわざ直線ではなくカーブを作りました。これは後にディズニーランドに作られる白雪姫やピーターパンなどの「ダークライド」という乗り物に通じるものがあります。
ディズニーランドの構想では、その鉄道がパークの中心を担います。周囲を一周する形で「サンタフェ鉄道」と名付けられた蒸気機関車が走り、途中それぞれのエリアに停車します。正面入り口の駅前にはマーセリーンの駅前をモデルにしたメインストリートUSAの通りが伸び、ウォルトの少年時代の幸福な思い出が再現されています。
駅が1つになった東京ディズニーランドの鉄道
東京ディズニーランドの鉄道は1つしかない駅で乗り降りして、アメリカ河の周囲を一周するルートになっています。パークを1周するオリジナルの雰囲気を味わうことはできません。メインストリートであるワールドバザールも駅前通りではなくなってしまっています。その理由は、開園当時の法律では2つ以上の駅があると鉄道事業の免許が必要になってしまうためでした。1駅だけにしてアトラクションという形で運営するためだったと言われています。個人的には、東京ディズニーランドの中でも最も残念な変更点です。でも実際に蒸気機関車を使っているというところは再現されていますので、そこは嬉しい点です。
オリジナルの雰囲気を感じよう
線路の途中で車窓から開拓時代のインディアンの様子が見えますが、そこでアナウンスで説明が入ります。夢の国の中で、ここだけちょっとお勉強的な雰囲気を感じるのは私だけでしょうか?でも初期のランドのコンセプトでうたわれている、幸福と「知識」を得る場所、という部分を考えると、違和感なく受け入れられます。もともとは、大人が子供にアメリカの歴史やフロンティアスピリッツを教えるためのアトラクションなのかもしれませんね。
ちなみに終盤トンネル内に恐竜時代のシーンがあります。あまりに唐突で、なぜ急になぜ恐竜時代なんだ?という不思議な印象を持ってしまいます。これはオリジナルのパークに由来があります。1964年のニューヨーク万博にウォルトが出展した「魔法のスカイウェー」というパビリオンに先史時代のセットがあったのですが、万博が終わった後でアナハイムのパークの鉄道沿線に移設されました。東京のものは、それをそのままコピーしているのです。
コメント