ディズニーの劇場アニメ『アナと雪の女王2』のネタバレ感想です。作品をより楽しむための参考図書も紹介します。
ディズニー長編の前作『シュガー・ラッシュ:オンライン』がかなり新鮮な内容だったので、今回のアナ雪2がどうなってしまうのか楽しみでした。でも流石にディズニーは2作続けて変化球は投げず、真っ当で正しい、道徳の授業で生徒に見せても良いような映画に仕立ててきたな、という印象です。
最近はそれ以外にも『天気の子』や『トイストーリー4』など、正義、使命、義務、責任みたいなものよりも、個人のやりたいことや幸せを追求する話が多い印象だったので、この作品が逆に新鮮に見えてしまいました。
アナの成長物語
本作はキャラクターごと、シーンごとにメッセージが切り替わっていくような複雑な展開です。しかもミュージカルシーンの歌の中で重要なことを語るので、油断して観ているととらえどころのない話に見えてきます。 それをなんとか自分の頭で整理した結果、「アナの成長物語」としてとらえると分かりやすいと思いました。
一方で本作のエルサはすでに十分に大人で人格が完成されています。1作目の冒頭では臆病で内向的だった彼女ですが、今回は非常に冷静で判断力もあり、魔法を使いこなしスーパーヒーローのように能力の高さを見せつけます。
心はひとつ
冒頭のミュージカルシーンではみんなが穏やかで幸せな日々を送る中、アナが歌います。ずっと変わらないものがある。季節は巡るけど、友情や愛情などの心はずっと変わらないと。外交的な性格のアナらしく、ひたすらポジティブです。一方でエルサも同様にその幸せが変わらないことを願っていますが、そこに一抹の不安を感じています。歌の最後で「心はひとつ」ということが強調されますが、これはその後アナとエルサが別々の道を行く展開を暗示させるものです。
中盤エルサはアートハランに向かう際にアナを騙して置いて行きますが、このシビアな判断はカッコいいです。「ずっと一緒にいてあなたを守る!」という情緒的なアナの思いよりも、魔法が使える自分だけで行ったほうが安全だという冷静な判断です。今までずっと一緒にいたアナとエルサが別行動し、それぞれ自分のやるべきことをやってお互いを助けます。そしてラストで二人は森と街に分かれて暮らすことを選びます。大事なのはお互いの「心」だということですね。
今の安定と、真実を知ることでの葛藤
エルサが魔法の森から聞こえてくる歌に心を引き寄せられていくところから物語が動き出します。自分のルーツや世界の真実を知ることへの衝動と、今の安定した生活を壊すかもしれないという不安の中で葛藤します。でもすでに臆病で内向的な性格を克服し、自分の能力にも自信を持つ彼女は、未知の世界に一歩踏み出すことを選びます。
結果的に街から水や火が消え大地が揺らぎ、街を一時的に危機に陥れることになります。しかし、後半ではそのことが世界のもっと大きな問題の解決につながることになり、エルサの損得を越えた決断が肯定されるのです。
Do the next right thing
作中で何度も出てくるフレーズ「Do the next right thing」がアナの成長に対する1本の太いメッセージです。nextを除いた「Do the right thing」の意味は、理屈や損得ではなく人として正しいまっとうなことをする、というような意味だそうです。
そこに「next」が加わりますが、おそらく自分の大きな理想や目的がなんらかの障害によってくじけそうになった時に、とにかく今できる行動の中で最も正しいことをして前に進め、という感じの意味だと思います。
先住民と歴史の真実
アナたちとは別の民族が、森で何十年も霧の中に囚われています。その原因は過去にアナとエルサの祖父が多民族に対する偏見から戦争をしかけたせいだということが分かります。エルサは安定した生活から抜け出して冒険に出て、その真実を見つけ出すわけです。自分の幸せの裏に、不都合な世界の真実が隠されているかもしれない。たとえ苦しくてもそれを明らかにして向かい合う、これぞまさに「Do the right thing」です。
これはもう明らかにアメリカの白人と先住民や黒人との関係を象徴してます。ノーサルドラの人々の顔がモンゴロイド系ですからね。アメリカという国の歴史はほぼ全編が黒歴史です。詳しく知りたい方には以下の本がオススメです。
『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』ハワード ジン/レベッカ ステフォフ
でもこの映画の大事なところはDo the next right thingの「next」の部分です。今生きている人がその歴史に対して責任を取れ!と言っているわけではないのです。その歴史をちゃんと理解した上で、今の時代で自分がやれる「正しいこと」を一歩ずつやれば良いよ、と言ってくれているのです。アナやエルサは自分と同じ民族、果ては直接の祖父がやった悪いことに対し、それを自分の責任だと感じて思い悩むシーンはありません。あくまで他人がやった過ちであり、自分たちはその状況の中で正しいことをするのみ、という態度です。アナは自分の街を犠牲にしてでもダムを壊して森を解放しようとしますが、エルサが魔法の力で水から街を守ってくれます。精霊たちはアナとエルサを正しい行動に導きますが、最後は自己犠牲なんか必要ないよ、と言ってくれいるのだと解釈しました。
これ、偶然にも戦後に世代交代した我々日本人にとっても耳の痛い話になってますよね。エルサのように真実を知ろうとしているか?アナのように今できる正しいことをやろうとしているか?そう自分に問いかけられている気がしました。
2019/12/1追記
町山智弘さんの『映画ムダ話』の解説を聞いて、ノーサルドラは「サーミ」という北欧に実在する民族がモデルとして描かれていることを知りました。作中に出てくるダムも、実際にノルウェーに実在するアルタ・ダムがモデルで、それがサーミの生活を破壊したために問題になったものだそうです。
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