【映画】世界をフラットな目線で見る『風と共に去りぬ』ネタバレ感想

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映画『風と共に去りぬ』のネタバレ感想です。1939年に公開された、アメリカの南北戦争前後の時代を生きた一人の女性を描いた大河ドラマです。

4時間近くもある大作なので尻込みしてましたが、思い切って見始めました。予想外に面白すぎて、長さを全く感じませんでした。映像のスケールと美しさもさることながら、人物描写の見事さにすっかり引き込まれました。

登場人物の個性と一貫性がすごい

この作品に登場する人物たちの性格が見事にバリエーションに富んでます。自分勝手なスカーレットと女神みたいなメラニーの対比をはじめとして、みんな性格が違っています。いろんな性格の人がごっちゃに暮らしている現実社会の縮図のようです。

そして、その性格描写が4時間ある作中で一貫していて全くブレないんです。それぞれの性格の融通の効かなさに、見ていてイライラしてしまいました。でも、それこそは現実の人間を見て感じる気持ちと同じなんじゃないかと思います。

そこで、主要キャラ4人の性格を、心理学の性格分類法であるビッグファイブに当てはめて考えてみました。

スカーレットは外向性が高く調和性が低い

スカーレットはとにかく「外向性」が高いです。ここで言う外向性は社交性とは違って、報酬に対する衝動の強さです。アシュレーがたとえ他人の夫だろうと、自分の男にしたい、という強い衝動を持っています。タラの農場で極貧生活に入った時も、例え悪いことをしてでも、二度と餓えません!と神様に誓うセリフをいうシーンがあります。レットはスカーレットのその衝動のエネルギーの強さに惹かれたんだと思います。

そして彼女のいちばん特徴的なところは、「調和性」が著しく低いことです。調和性とは、他人の気持ちに共感して、他人のためになることを行動の選択基準にする性格のことです。スカーレットはとにかく他人の気持ちには興味がなく、自分の利益第一です。好きでもない妹の恋人を騙して結婚しても、その彼が死んでも何とも思っていません。喪中でも気にせずパーティーでダンスするし、病院での負傷兵の手当ての仕事からも「もううんざり」と言って平然と逃げ出します。

外向性のレット、調和性のメラニー、誠実性のアシュレー

レットはスカーレットのことを自分に似ていると言いますが、それは外向性の強さという点でしょう。戦争に関わるのはお金のためですし、愛人を持ちながらもスカーレットを手に入れようとします。でも、調和性の面ではスカーレットとは違っているようです。決して善人ではありませんが、好きな人のためには危険も犯して行動する人です。全く誰にも興味のないスカーレットとはちょっと違います。しかし、ほんとにこの二人は性格的に上手くいくはずがありませんよね。

メラニーは調和性のかたまりです。常に他人のために行動し、誰にでも分け隔てなく接します。遠くにいる夫が誰かの世話になっていると想像して、その分自分も負傷兵の世話をしてあげる、まさに女神です。でも一方で、タラの屋敷に侵入した北部の男をスカーレットが射殺した際には、自分も剣を手にしながら「よくやった」と言います。家族の敵とみなしたものに対しては冷酷さも見せるのです。彼女も人間であり、超越した神様のような存在ではありません。

アシュレーはスカーレットに誘惑され続けますが、正直彼女に惹かれていることを隠せません、しかしメラニーという結婚相手がいるということを考えて、拒否し続けるのです。奥さん一筋の誠実な男ではありませんが、将来のリスクを考えて誘惑に負けるような行動はしないのです。この、未来を考えて今の衝動を抑える特徴をビッグファイブでは「誠実性」と呼びます。

風と共に去っていく社会規範

この映画のもう一つすごいところは、そのタイトルにもある通り、今ある社会規範も時代と共に風のように去っていくようなものでしかない、ということ描いているところだと思います。南北戦争前後の金持ちの生活、女性に期待されていたこと、黒人奴隷の扱い、北部人との関係、などなど。全てのことが単なる当時の一時的な文化や規範でしかなく、今(と言っても1939年当時)見ると遠い昔の過ぎ去った価値観でしかないよね、ということを観客に伝えています。

映画の中では、南北戦争当時のいろんなことを、今見るとバカバカしいこととして描いています。それはひるがえせば、この映画を見ている観客が暮らしている今の時代の人も、同じくバカバカしいことに縛られていたりするんじゃいか?という問いかけになっていると思います。この世界を、とことんフラットな目線で見ろ、とうメッセージを勝手に受け取りました。

スカーレットが自分勝手なキャラだから見せられること

個人的には、スカーレットのこの調和性の低い自分勝手な性格は、この映画において必要不可欠な要素だったと思います。彼女は他人に対してはひどい人間ですが、誰にも興味がないからこそ、白人も黒人も、どんな性格の人でも、どんな立場の人でも、スカーレットは誰にでも「分け隔てなく」ひどい扱いをします。彼女が人でなしだからこそ、誰が良い人で誰が悪い人、というような価値判断をせずに世界をフラットに見ているのです。

また、その時代の女性に求められていることとか、人種差別とか、そういったことにも彼女は全く無頓着です。大事なのは自分の衝動だけなのです。

観客は、そんなスカーレットの目を通すことで、スカーレット自身も含めた映画の中に出てくる登場人物たちを、フラットな目線で見ることができるのです。そこには、完璧な人間は一人も出てきません。立派な大義や社会制度なんてものもありません。あるのは人間の性格の特徴の違いと、たまたまその時代に根付いている文化だけです。それらを見て、自分はどういう人間になりたいか?どういう社会にするべきか?などというような価値判断は、すべて観客の側に任されているのです。

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