映画『グリーンブック』のネタバレ感想です。最後には作品をより楽しむための参考図書も紹介します。
差別を超えて、偏見をなくす
この映画はなんとなく観る前に想像していたイメージと違いました。よくある黒人差別をテーマにした作品は、裕福な白人と貧しい黒人という関係性のなかで、差別の悲惨さと、その中で生まれる愛情や友情なんかを描くものが多いですよね。でもこの作品は逆です。白人が裕福な黒人の運転手をするという話で、目を覆いたくなるひどい差別のシーンもそれほどなく、むしろ笑って楽しめる内容です。なんとなく肩透かし感がありました。
これってどういうことだろう?と考えた結果、この映画は「差別」ではなく「偏見」をテーマにした話だと捉えることにしました。ある人種に特定の性質がある、という誤解を偏見だとすると、その偏見から生まれる不公平な扱いが差別です。その差別的な行動や発言をしてはいけないというマインドが浸透しつつある現代人に対して、さらに心の中のちょっとした偏見自体をなくそう、と訴えかけているような気がします。
偏見を壊してくれる要素の数々
黒人のドクターシャーリーは有名なピアニストで、カーネギーホールに住んでいる富豪です。それに対し白人のトニーは決して裕福とは言えないイタリア移民の家の生まれです。実はアメリカでは白人の間にも差別があり、貧しくてカトリック教徒が多いイタリア系移民はむしろ差別される側だったそうです。二人が雨の中で警官に止められるシーンでは、「お前はイタリア人だから黒人の運転手なんかやってるのか」と言われたトニーが感情にまかせて警官を殴ってしまいます。白人とか黒人という自分の中の根拠のない分類が覆されます。
小さい頃から音楽家として育ったシャーリーはとても上品で礼儀正しいですが、一方のトニーは粗野で乱暴です。この性格の違いは、単に二人の個性として描かれるのですが、そこでハッとしました。なんとなく自分の中で、「黒人なのに」とか「白人なのに」という感覚があることに気づいたのです。自分にはそんな偏見はないと思いたい。でも深層心理では決してゼロではないことを思い知らされたのです。なんとなく恥ずかしい気分になりました。
シャーリーの孤独
ストーリーが進むにつれ、シャーリーの悩みが黒人差別そのものではないことが分かってきます。自分が成功して裕福になっても、決して白人からの差別はなくなりません。黒人専用のトイレを強要されるし、南部のレストランでは入店を拒否されます。では黒人社会の中ではどうか。南部の農場の前で車が故障して止まるシーンがありますが、そこでシャーリーは農場で働く貧しい黒人たちを見かけます。良いスーツを来て白人を雇う黒人を見る労働者たち。それを見るシャーリー。自分は白人とは同等にはなれない、でも黒人だという人種的なアイデンティティを持つこともできない。強烈な孤独感ですね。
人種ではなく個人
ラスト近く、トニーとシャーリーはニューヨークへの帰路で再び警官に止められます。見ている方に不安がよぎりますが、以外にも想像と逆の展開になります。人がどう振る舞うかは、人種ではなく個人ごとの特性なんだという強烈なメッセージに感動せざるをえませんでした。序盤で黒人が使ったグラスを捨てていたトニーですが、ラストではシャーリーと親友になりそんな偏見は消え去ります。それと同時に見ている側の自分も気づかずに持っている偏見に気づかされましたし、その偏見をなくすきっかけをもらった気がします。
参考図書
『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』上下巻
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