本書は表紙だけ見ると、進化生物学の読み物のようで書店の科学コーナーにありそうな本です。第一章まで読んだ時点では、まだそのイメージで問題ありません。従来の進化論の本は環境に適応して生き残った生物種にスポットライトを当てていますが、この本は絶滅した99.9%の種についての新しい視点で書かれているようです。そしてその絶滅と生き残りが、隕石の衝突や火山の噴火などの偶発的な環境変化、言ってみれば「運」によって決まる要素が多いというのです。なるほど、確かに。自然淘汰の中で優れた種が生き残ったというイメージを改めなければならないようです。
ところがそういう本かと思って読み進めると、第二章から徐々に雰囲気が変わって、本書は意外な方向へと進み始めます。まず素人がビジネスなどの話題でアナロジーとして使う進化論の「適者生存」のイメージが、科学的な進化論といかに乖離しているかが説明されます。次に専門家同士の間で起こった論争を紹介します。適者生存の法則から原理的に進化を説明したリチャード・ドーキンスらに対して、進化の偶発性、歴史性という観点からそれに反論しようとしたスティーブン・ジェイ・グールドの戦いとその敗北についてかなりのページ数を使って語っています。そしてそこから一気に話は科学と人間性についての思想・哲学の領域に進みます。過去の多くの思想家から引用を重ね、社会学や科学哲学などの歴史から進化論について考えを進めます。
最終的には、進化論という分野が自然科学と人文科学の両面から語られ得る珍しいフィールドであること、そして、それが魅力となって多くの人々を惹きつけてやまないということを教えてくれます。そう言ってしまうとシンプルですが、そこに至るまでの、思想史と言っても良い骨太の文章を読むことが本書の最大の楽しみでしょう。
基本情報
作者:吉川浩満(文筆家、編集者)
発行日:2021/4/12(文庫版)
ページ数:496
ジャンル:NDC 467, 自然科学>生物学>遺伝学
読みやすさ
難易度:若干難しいです。使われる言葉の定義をしっかり掴んでいかないと何を言っているのか分からなくなります。
事前知識:進化論の基礎は知っておいた方が良いです。哲学や社会学の思想史について知っているとなお良いです
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目次とポイント
序章 進化論の時代:進化論はどうして魅力的なのか?
第1章 絶滅のシナリオ:種の99.9%が絶滅してきた。それは適応度による生き残り競争ではあるが、適応する環境が偶発的に急変するため、運の要素が強い
第2章 適者生存とはなにか:素人の「優れた者が生き残る」という世界像は進化論の「適者生存」とは全く違うもので、そ右下理解が科学とは独立して存在している
第3章 ダーウィニズムはなぜそう呼ばれるか:進化の偶発性と歴史性の観点から適者生存プログラムを批判したグールドの主張とその完全敗北の歴史
終章 理不尽にたいする態度:グールドの主張が示唆するのは、科学とは対立することのない人間性の問題である。「進化論」は純粋に科学的な面と、歴史や価値観と言った人間性の面の両方から語られる珍しい分野で、それが人々を惹きつける魅力になっている
感想
ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んだ時の衝撃はすごいものでした。遺伝子の自然淘汰の考え方によって、人間を含む生物のあらゆる生態や特徴が見事に「説明」されてしまうのです。それまで何となく「人間的」な問題だと思っていた、暴力、利他性、男女関係、感情、などの事柄が、遺伝子を残すために必然的にそうなっているという説明によって一気に「科学」の世界に入っていくのです。それは感動的だし、日々の悩みを軽くしてくれる薬のようでもありました。一方で、人間とか自分っていったいなんなのか、生きるってなんなのか、そういう人生の深みみたいなものが空洞化して、世界が無機質な科学の理論によって埋め尽くされていくような怖さも感じました。そういったものを捨てきれずに「適者生存」に対して抵抗したとしたら、論争には敗北したとは言えグールドに共感できる部分もあります。今後あらゆる分野で科学が進歩していき、世界の中で理論的に「説明できる」部分が占める割合がどんどん増えていくでしょう。でもいくらそれが増えても、最後には全てのことが理論で説明できたとしても、やはりそれとは個別な人間性の問題は永遠に独立して存在し続けるのでしょうか。そうであって欲しいな、と思います。
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