【映画】役割と内なる声の葛藤『トイ・ストーリー4』ネタバレ感想

映画

ピクサーの劇場アニメ『トイ・ストーリー4』のネタバレ感想です。最後には作品をより楽しむための参考図書も紹介します。

働く動機は内か外か

トイ・ストーリーはおもちゃの世界を通して、観る人に様々なテーマを投げかける重層的な作品です。そこから受け取るメッセージは、観る人の年齢や立場によって変わって行くものだと思います。日々を会社員として働いて過ごす自分にとって、今作はどうしても「働き方」をテーマとして捉えざるを得ない内容となっていました。

そこで問いかけられるのは、誰かに評価され認められ求められるという「外発的」な動機か、それとも自分が心からやりたいと思う「内発的」な動機、最後にどちらに従って行動するかという葛藤です。作中で典型的に前者の立場にいるのがウッディであり、後者がボーという構図で物語が進みます。

作中では、特定の子供に所有されているおもちゃは「持ち主」がいるおもちゃ、一方でそうでない場合は「迷子」のおもちゃという表現がされています。この持ち主っていうのはまさに「会社」であり、そこに正社員として雇われている状態のメタファーだという感覚で見てしまいました。前作では、アンディに強い愛着は持ってはいるけどもうおもちゃでは遊ばなくなったアンディが、悩んだ末にウッディをボニーのもとに手渡します。ウッディは自分をより必要としてくれる会社に「転職」して今作に至っているのです。

ボニー(会社)にとってのウッディ(自分)って何?

ボニーのもとでウッディは、彼女が遊ぶ相手としてなかなか選んでもらえない日々を送っています。それでもボニーを喜ばせることが使命だとばかりに、幼稚園の体験会に行く彼女を心配するあまりこっそりついて行きます。そこで彼女の不安で孤独な心を救ったのは、ウッディではなく彼女自らが作ったおもちゃであるフォーキーでした。それからのウッディは、彼女が大事にするフォーキーを守り、おもちゃとしての自覚を持たせることに全力を注ぎます。観客としてそれを見ている自分は、そんなウッディを応援もするし、彼の思いは素敵なことだとも思います。しかしその行動がボニーを幸せにしたとしても、決して彼女がウッディの方を向くことがないのも知っています。中盤、フォーキーを助けることに固執して周りが見えなくなったウッディにみんなが愛想をつかすシーンでボーが言います。それでもウッディは「愛すべき人」だと。

これを見せられたら、会社にとっての自分って何だろう?と嫌でも考えずにはいられません。自分にとっては会社は大きな存在ですが、逆に会社からすると自分という存在は、仮に貴重なものになれたとしてもその評価はいずれ変わるかもしれない。もしかしたらフォーキーのような、可能性に満ちた新たな存在が現れるかもしれない。

内なる声に従え

作中でバズ・ライトイヤーが胸のスイッチを押すと聞こえる声の通りに行動するシーンが印象的ですが、そんな「内なる声」に従って生きてきたのがボニーという存在です。彼女はウッディと離れている間、特定の持ち主を持たなくてもたくましく生きてきました。広い世界を見たいという内なる声に従って、公園でいろんな子供と遊び、腕が折れるような苦労も気にせず仲間達と充実した日々を送っています。トイ・ストーリーの中で一貫してきた、特定の持ち主と暮らす幸せという概念の外側に生きるキャラクターです。これはもう「フリーランス」とか「起業」の世界ですね。自分のやりたいことをやり、特定の顧客や雇用主に縛られず、いろんな仕事をいろんな相手とやる。

最初は、ウッディだってボニーを喜ばせたいという内なる声に従って行動しているのではないか?とも思えなくもなかったです。でもフォーキーと道路を歩くシーンで、ウッディはついついボニーの名前をアンディと言い間違えてしまいます。心の奥では、アンディに遊んでもらっていた頃の幸せな時間に戻りたいと思っているのです。

ラストでウッディは、今までの信念や仲間との葛藤の末、ボーといっしょに生きる道を選択します。好きな人と一緒に広い世界で、自由に、一人の子供にではなくたくさんの子供たちに幸せを与える生き方を選ぶのです。自分を必要としてくれる特定の会社を見つけて定年まで貢献するような時代は終わり、自分の内なる声に従ってやりたいことをやる時代が来たんだ、これはそういうメッセージじゃないかと思いました。

できることじゃなく、やりたいこと

ギャビー・ギャビーという人形が登場します。彼女はずっと持ち主がいない人生を送ってきたおもちゃです。ボーとは違って、いつか持ち主から必要とされ、いっしょに遊んでもらう日々を望んでいます。子供から選ばれない原因は自分のボイスボックスが壊れているからだと思っている彼女ですが、アンディから譲り受けたボイスボックスを付け、子供に声を聞かせることに成功します。でも結局興味を示されずに終わってしまいます。自分にはできないことがある求められない、だからその自分に足りないものを手に入れれば幸せになれる。そんな外発的な動機で行動した結果、うまくいかないのです。

しかしアンディ達とボニーの元へ向かう途中、迷子の子供を見つけたギャビーは初めて自分の心の声を聞きます。その子に選ばれたい、ではなく、迷子になって泣いている姿を見て、「助けたい」と思うのです。その思いに従って勇気を出して行動した結果、その子を救うと同時に、初めて持ち主のおもちゃとなることができたのです。

どうしようもない切なさ

この作品がファンの間で賛否が分かれるのは当然だと思います。だって、アンディが自分の持ち主から離れて広い世界に行くってことは、それまで愛した存在から離れることだし、一緒に頑張った仲間たちと離れるということです。そして何より、自分にとって唯一無二の存在だったものが交換可能な存在になってしまうんじゃないかという、どうしよもなく切なくて悲しい思いが胸に浮かんでくるからです。今まで愛したトイ・ストーリーの世界観やウッディと仲間たちの絆、それらに対する思いが強いほど、このラストを観て切なさを感じずにはいられないでしょう。頭ではアンディの選択が理解できるのかもしれませんが、こみ上げてくる感情はどうしようもないものです。

でもウッディが進む先にあるのは、間違いなく希望です。そして人生を変える決断をしたウッディですが、一方でその内なる声は変わっていないのです。それは子供たちを喜ばせ、幸せになってもらうこと。その対象が変わり、いっしょに過ごす仲間が変わっても、決して変わることはないのです。

参考図書

『ピクサー 早すぎた天才たちの大逆転劇』ハヤカワ文庫NF

ピクサー作品のテーマは、物語を作る制作スタッフたちのライフステージと密接につながっているような気がします。本書は、ピクサー創設時からの彼らのCGアニメ制作の歴史を知ることができます。

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