ちくま文庫のギリシア悲劇シリーズの最終巻は、古代ギリシアの3大悲劇作家の一人、エウリピデスの後編です。収録されている代表作『バッコスの信女』が書かれたのは彼が何と80歳を超えてからだと言うから驚きです。死後に息子が上演して、一等賞を得たそうです。アイスキュロスやソフォクレスに比べるてやや自由さを感じる内容です。伝統的な話の筋を意図的に改変してドラマティックさを演出しています。『タウリケのイピゲネイア』では生贄にされて死んだとされているアガメムノンの娘が、実は神に助けられて生きていたり、『ヘレネ』ではトロイアに連れて行かれたはずのヘレネが実は影武者で、本人は別の場所にいるという設定です。また、登場人物の対立が複雑化して解決の糸口が見えなくなってくると、神が現れて全てを片付けてしまう「デウス・エクスマキナ」が多用されるのも特徴的です。
基本情報
作者:エウリピデス(古代ギリシアの悲劇作家)
成立年:前455年〜前406年
翻訳者:呉茂一、松平千秋、他
発行日:1986/5/1
ページ数:711
ジャンル:NDC 991, 文学>その他の諸言語文学>ギリシア文学
読みやすさ
難易度:古い文体や難しい漢字が多く多少読みにくいですが、この巻まで読み進んできていればだいぶ慣れてきているはずです。
事前知識:古代ギリシアの歴史を知っておくと、どんな時代に書かれているかという背景がわかってより面白くなると思います。
おすすめ予習本:
目次とポイント
エレクトラ:王女エレクトラを百姓に嫁がせるというオリジナル設定
タウリケのイピゲネイア:イピゲネイアが生贄を逃れて生きていたというオリジナル設定
ヘレネ:トロイアのヘレネが影武者で、本人は別の場所にいるというオリジナル設定
フェニキアの女たち:アイスキュロス『テーバイ攻めの七将』と同じ題材を大胆に再構成
オレステス:神の命令に対する、人間の理性による道徳重視の姿勢
バッコスの信女:ディオニソス信仰という新宗教と既存の支配者の衝突
アウリスのイピゲネイア:結婚式だと嘘ついて娘を連れてきて生贄にしようとするアガメムノンがひどすぎる
レソス:ホメロスの『イリアス』の一場面を再構成した珍しい作品
キュクロプス:唯一完全な形で残るサテュロス劇。当時、悲劇3作とサテュロス劇という喜劇1作の4部構成で上演されていた
感想
エウリピデスは伝統的な神話の筋を変えてよりドラマティックな展開にすることで、サスペンス風で展開が面白い話が楽しめます。一方で、あまりにオリジナリティのある設定が神話の「本物っぽさ」を損なっている印象は否めません。登場人物の性格や行動に一貫性がない、という指摘は当時からすでにあったようです。こういった歴史や神話をエンターテイメントにする際のトレードオフは、現代の歴史ものでも依然として存在する難しさだと思います。日本の大河ドラマなんかを観ていても、歴史上の有名人同士が偶然出会って交錯する都合の良いシーンが多いです。それを見て「本当の歴史はこんなにドラマっぽくないのだろうな」と感じながらも、私たち視聴者は色々な解釈や再構成を楽しんでいます。エウリピデスが当時の大衆に間違いなく人気があったことを考えると、そういったエンタメ寄りに再構成された作品を楽しむ気持ちは、紀元前の大昔から変わらないものなのでしょう。
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